第86話    「尺物黒鯛の入れ食いの事」   平成17年11月27日  

あれは確か昭和53年夏の事であった。
旧盆を少し過ぎた18日の日の夕方少し北風があったので、涼みがてら北港の共同火力の岸壁に出掛けることにした。会社を5時半丁度に退社し、急いで行きつけの釣具屋へバイクで走って行き、屑マエ500円分を購入する。屑マエとは字の通り売り物になるマエをはじき物で細かい切れっ端のマエの事であるが、一時間から2時間と云う短時間の釣りにはそれでも十分に使えた。

共同火力の岸壁は、直ぐ北側が宮海海水浴場となっている。手前岸側の棚1.5ヒロで比較的浅く、沖側に向かって段々と深く西側の岸壁の外れでは最高で3.5ヒロとなっていた。砂浜に近いテトラのある場所では9月の中頃以降、時化ると大型黒鯛が着くので8~9mの長竿使ってのフカセ釣りでカニやカラス貝の剥き身などで釣れる事もあった。

使用する竿はグラスロッドのヘラ竿に外ガイドを付けた物に、3号のナイロンの道糸に同じく3号のハリスである。グラスロッドは結構軟らかで、尺物が釣れると結構曲がってくれて十分に遊べるものであった。共同火力の岸壁の夕方からの半夜釣りでは、岸壁が高い為に当時持っていた玉網の3(5.4m)では海面まで届かず3号ハリスを使用していた。そして尺物が釣れると、暴れないように遊ばせてから強引に引き上げるのを常としていた。当時の使っていたナイロンハリスは、とても弱く引き上げるのに最低3号を必要としていた。まして価格の安いハリスを使っていたので、魚が暴れると簡単に切れる事も多かった。

到着した時は生憎の向かい風で、仕掛けの電子ウキに餌を付けて思い切り飛ばしても10mと中々その先に電子ウキが飛んでくれない。タナは一ヒロ半〜二ヒロに板鉛を付け、電子ウキをゴム管で固定したと云うシンプルな仕掛けである。

足元の海面下は豆腐石(ケーソン)が横に一個づつ沈み其の先にテトラが10~20mに渡り沈んでいる。其の先は女鹿石がやはり10m15mと沈んでおり、小型のクロダイの格好の住処となっていた。夕方になると、クロダイが餌を漁りに沈みテトラの上に出て来る。それを狙っての釣りである。

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時半を回った頃、強かった風がピタリと止んだ。と同時に風波も消えた。電子ウキが1520mが楽に飛ばせる状態になった。ウキが潮の流れに乗って右に左に緩やかに流れていく。何時ものように浅い方から深い方へと攻めて行く。タナはテトラの頭スレスレにセットすると直ぐに当たりが出て、最初の当たりでゲットする。手元に引き寄せて静かに引き上げるも、弱らせ方が悪かったのか暴れて道糸切れで落ちる。

気を取り直してウキを飛ばす。と直ぐに又当たりが出る。今度は見事引き上げに成功する。その後1時間もかからず引き上げに成功したものだけで15枚の尺物に預かった。バラシを入れればゆうに20枚を越えている。正に入食いの1時間であった。尺物がたった1時間で15枚も釣れたのはこの時が最初で最後の釣果である。

一時間後、岸壁の真ん中で深い方から攻めて来た会社の同僚に出会う。彼は一枚も上げていなかった。この時は浅場から攻めて行った作戦が成功した。場所の選定も長年の感である。15枚入っているスカリを見た時の彼の羨望の眼差しを今も忘れられない。体格の良くて、笑い顔の耐えない気の良い若者であった。その彼は、10年後頭にガンが出来て二度の手術のかいもなく亡くなった。何故かその当時から、運転中に居眠りをする事が良くあったが、それも腫瘍から来る原因のひとつだったのかと後から思ったりした。